入院生活の始まり
2017年11月慣れ親しんだレントゲンと採血。しかし今回からレ、ントゲンが正面と横の2枚撮ることになり、いつにも増してキツかったです…。肺の状態は若干進行してました。すると先生が「外科に頼んで生検しようか」と。え?!気管支鏡検査じゃないの?と思いましたが、自分の間質性肺炎は肺の状態や症状の割にデータが出てこなく、先生がステロイドを使うのも、すごくためらってた事を思い出しました。なので正確な病型を調べ治療する為に、3日後入院する事になりました。入院初日10年ぶりの入院でした。広めの個室で9階なので眺めが良かったです!入院してすぐ、何年ぶりか分からない程久しぶりに簡単な身体測定をした所、身長170(168)cm。体重43kg。ええええ?!?!?!?!43??確か54kgはあったはずだけどそこまで減る?…。あぁ引きこもり生活、偏った食事、昼夜逆転した睡眠、原因は沢山ありました(汗)この事でまたもやショックを受け、入院生活中沢山食べ太ろうと、固く決意しましたw
家族と病気と不安
2017年9月いつも通りレントゲンと採血の検査。肺の状態を見るも、前回と変わらずやはり固まっていました。自業自得の結果なので期待はしてませんが、ちょっと残念…。でもそれ以外は何事もありませんでした(現状維持大事!)しかし、終わりがけ先生に「次回は家族全員で病院に来て欲下さい」と、言われました。え?!2017年10月予定通り家族全員で行きました。自分以外の家族は余命を言われるんだと思ってたらしく、ソワソワして落ち着きがなかったのが地味に面白かったです。しかし、家族を呼ばれた理由は病気の説明。もしかしたら家族にも同じ病気が発症するかもしれない事。あと家族の不安を取り除く事でした。今まで無関心だと思ってた家族が、先生に色々質問しているのを見てて少し嬉しかった…。でも弟が真剣に肺移植の事で「おれが500万くらいならローンしてでも借りて来るからやってくれませんか?」って聞いていて、先生が戸惑ってた事にちょっと笑ったw家族の事はいつも興味なさそうにしてるけど、弟なりに気にしてるんだね(下調べしない辺りが弟らしい)*追記ブログ投稿時、文字化けしている事がありますが、早急に修正しますのでご容赦ください。
ドロップアウトから通院再開まで
2017年8月ドロップアウトしてから11ヶ月後、ずっと家の中で引きこもってました(動かなければ肺に負担がないと思ってたから)だけど胸は痛くなるし、病気が進行いているせいか動くと脈が早くなって苦しかったです。再び病院に通うきっかけは、喉が詰まる症状でした。ググると逆流性食道炎?とか呑気症?あとストレス…?うーん分からないけど肺は関係なさそうかな?それでも謎の詰まり感が気持ち悪く、さすがにそろそろ病院行かないとやばいかもとは思っていました。正直一人では行けないくらい弱ってたので、親父に頼み込み休んで行ってもらいました。担当医はいたものの予約が一杯だったので、代わりにちょっと若い先生に診てもらいましたが(病院の医師紹介見て)、このことが結果オーライで細かく説明してくれるし色々聞いてくれて安心感がありました。約1年ぶりに検査をした結果「右肺が気胸で一割凹んでます」「2週間安静にしてまた来て下さい」と、言われました。それから2週間後検査するも肺が膨らんでない…「もしかしたら間質性肺炎の影響で、膨らまないまま固まっているのかも」これはさすがにショックでした…でも完全に自業自得だ…この息苦しさはもう治らないのか…何やってんだよ!と、読んでくれてる方は思うかもしれませんが、中々性格は変わらないもののようです。*追記誤字脱字があるかもしれませんが、ご容赦ください。
初診からドロップアウトまで
それから半年後C病院ではなく、10年前脳腫瘍で手術したJ病院に行くことに。再度検査をするも対応は良く、なんと咳止めも出してくれて、あぁ最初からここにくれば良かったとつくづく思いました。ちなみに、前の病院では通院が半年に1回でしたが(通院してはいない)、ここでは月に1回に(自分的には安心できたけど内心面倒だった←性格は中々変わらないようです…)その半年後仕事中に胸が痛くなり、しかも家に帰ってからより酷く呼吸するたび痛くなるようでした。でもまた懲りずにいつもの勝手な判断で肋間神経痛かな?と思ってましたが、余りに痛いので入院もできるちょっと大きなK病院に行き検査するも原因が分からず、結局いつものJ病院に行く事に。あいにく担当の先生がいない日でしたが、他の先生に診てもらった結果急遽入院することになってしまいました!(携帯の電池が少なく焦りましたw)【病名は縦隔気腫】縦隔気腫とは右肺と左肺の間にある縦隔に空気が溜まった状態とのこと。抗生物質の点滴をしながら10日間入院しました。その後も仕事中、咳による肋骨ひびが入ったと思ったら骨折したり(この時ポキッって骨折れる音を初めて聞きました)しかし以上いると迷惑がかかり過ぎると仕事を辞めてから、家に引きこもりになりました…そして入院してから半年後、どうしても電車とバスで病院に通わなければならない事情になったのをきっかけに、行かなくなってしまった(ドロップアウト)それから何回か胸が痛くなりましたが、安静にしてれば大丈夫だろう。と、また勝手な判断をしてました。(この事が原因でまた後悔をするわけです)
間質性肺炎という病気を知るまで
診療所で最初に喘息の検査をしましたが、結果は正常。次にレントゲン撮影をした所全体に白い影が…先生は渋い顔…この時最初の後悔をしました。もしかして重い病気かも?と内心ドキドキしてると先生は「結核になった跡がある…え!?結核?知らない内に?と思ったんですが、ググると自然に治ってる事結構あるようですね!とりあえず大きい病院に行くよう紹介所を書いてもらったので、市内で一番大きいC病院へ行くことに。でもそこはいい評判がなく、実際に友達のおじいちゃんが手術でガーゼを体に置き忘れて亡くなっているので、正直行きたくなかったです。しかし先生には翌日行けと言われた為、本当に仕方なく仕方なく行きました。診療所で撮ってもらったレントゲンを見せると、画像が荒すぎて分からないと言われたので、再度レントゲンとCTと結核を調べる採血を。結果結核菌はいなかったので一安心しました。しかし、CT技師から間質性肺炎じゃないかという話がありました(先生は気付かなかったの?)ここで初めて知る訳ですが、今思えば肺炎かぁと一安心してたかも(後で絶望するんだけどね)膠原病か調べる為再度採血。結果は問題なし。そして先生に咳止めをほしい!と言っても「ないよ!」「(間質性肺炎の状態は)大丈夫」と言われ次回は半年後にと言われる始末…なんか対応が酷いなぁと思ったけど、終わってから調べると妙に納得!その後、簡単に説明し家族に泣かれるも、この病気の事はまだ信用していないようでした。
闘病記書き始めます
初めまして!れおといいます。よろしくお願いします。